言い訳 += "だらけ"

貧困かつ最低限度の文化的な生活を出力中...            書評,映画評,小説,料理,雑記,日記...

Ads by Google

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

PageTop

『この冬は越えない』案内

2010.01.25.更新
『この冬は越えない』 有塚香子

起きてはならないことが起き、誰もその責任をとらなかった。
上手くやり過ごしてきたが、内圧は高まりとうとう弾けてしまった。
元々起こらなかったわけでもなく、適切に対処したわけでもない。
自他共に、単純に見てみぬふりをしていただけだった。
弊害は静かに、最弱者に生じる。

・続きは twitter/#twbngk に投下中
*昔のこと(了)
1手紙(了)
-1
-2
-3
-4
-5
-6
-7
2走り書き(進行中)
-8
-9
-10
-11
-12
3手紙2
*遠い日に

参考文献:
(リストアップ中)

関連:
自作小説、恋愛、セックス、障害、
児童虐待、性的虐待、近親姦、機能不全家族、共依存、
カルト、新興宗教、トラウマ、フラッシュバック、自殺、
ケータイ小説(笑)、携帯小説(笑)、昼ドラ(笑)、ドロドロ(笑)

PageTop

ぐーぐるとついったーと畑仕事に精を出すまとまらないおはなし

私は元来うまく休むことができない人間で、
そうした個人的な事情も含みつつ、
努力を放棄する人間を軽蔑しがち。
それから、
ただ努力することを許された環境に生まれた、
その他でもない運の良さを棚上げして、
努力しない人間を攻撃する人間を、もっと軽蔑しがち。
よく分からんけど。
他人は他人、自分は自分っていう境界が、
もっとはっきり認識できればいいんだよなあ。
誰かの足引っ張ったところで自分が幸せになるわけじゃなし。
自分が努力したところで誰かを傷つけるわけじゃなし。
 ※高速無料化とフェリー会社の話は相関したりするけどさ。

■さて話はローリング。(※転じないで同方向に転がす的意味合い)
自他の境界が曖昧なのは私だけでなく日本人の気風にありがちなようで。
自我他我意識する冷たい理性よりも、情が優先空気が肝心。
「見えない空気を読め!感じろ!この人でなし!鬼悪魔!」の素晴らしい社会。
発展目指して自由主義だ民主主義だって浮かれ気分で騒いではしゃいで、
突貫工事で近代化した島国日本にできあがったものの続きが、それ。
うんあれだ、液状化現象が心配な地盤に立つ歪な個人主義ビルヂングって言うの?
昔の人は立派だったとか昔の人の選択が誤りだったとか、
そりゃあもう過去の話だっていうのに諸説乱立して、
結局たった一つの冴えた正解も決まりあぐねてる。
まあそれはそれでいいんだ。
もし正解が一つに定まったら職を失い食いっぱぐれる人も出ちゃうよね。
■でもさあ。
せっかくうんたらかんたら頭働かせて昔の文献あたってるなら、
たった一つじゃなくて十個でも百個でもいいから、
未来指向の冴えたやり方を提示して貰えないだろうか。>頭のいい人たち
しかも、その難しくてありがたいお話を、
「本なんか読まねー将来設計なんか知らねー国の行き先なんか関係ねー」
っていう人が、
「おっ?これは…!?」
ってなるくらいにやわらかく噛み砕いてさ。
■ほんと。
もうちょっと外の世界に学問の楽しさをお裾分けしてくれればいいのにね。
事業仕分けで露呈しちゃう位に内向きで、外部へのアピールが薄いのは残念。
それとも学問は贅沢な貴族の娯楽だから、庶民にくれてやる分なんかないのかな?
だけど『知』って、人に渡したら減るんじゃなくて増えていくものなのにね。
人材の裾野も、富を生む市場も、内側にだけ顔を向けてたらそりゃあ狭くもなる。
本来お金を使って欲しい世代そのものの、頭数も資産も目減りしてるんだから。
じーわじーわと自分と自分の子孫の首を真綿で絞め上げるソフトSMはもうやめよう。
自分と自分の子孫と知らない人の為に土地を開拓して畑を耕そうぜ!
みんなシムシティ好きだろう?
■そこでだ。
ぐーぐるとかついったーとかは、その辺の集合知的な考えに向かうサービス。
これらは人間の想像力の欠如を補う新しい方法という言い換えもできる。
あとフラット化する世界とかグローバリズムとかは親戚かも?
その辺未読なんでよく分かりません><
そのうち読もうと思います。
■結局。
人間というものは互いに直接的な関わりを求めてる。
でも人間関係の煩わしさや内気な性格、生まれつきの社交性の欠如等によって、
今は「割と多くの人々」に直接的な人とのやりとりに不全が生じている。
だけれどもあら不思議。
四角い画面を通したら、スムーズに考えが伝わったし聞こえてきた!
ぎこちない自分の姿という余分な情報を挟まずに、伝えたいことで勝負できる!
よーしパパ頑張っちゃうぞー★(腕まくりっ)
■…てな感じで。
つまるところ入り口が変わっただけで、やってることは昔と今で変わってない。
友達の家に集まってテレビゲームしたり、深夜ラジオの投稿競ったり。
オカルト雑誌で文通相手募集したり、同人誌買ったり作ったり。
学生サークル入ったり、飲み屋で顔なじみと絡んだり。
違いは間口そのものが世界中に無限に広がったってことと、
昔からあったあらゆる入り口とその奥のディープな世界をつなぐ、
バイパスにもなりえるということ。
見えてないといないと勘違いしちゃう想像力の足りない人間でも、
画面の向こうにリアルタイムで存在する相手に気が付かないことはない。
また同じように自分と直に対峙する人間の紡ぐ言葉は、
顔も見たことのない高名な学者先生の難しいお話と全く同一だったとしても、
妙にリアルに届いて「私」と「情報そのもの」との距離を縮める。

■個人的まとめ。
・隣の芝生が青いどころかネギとか白菜が繁っていても抜いたりしちゃいけないよ。
・黙って自分の庭に苦瓜とか大葉とか簡単なものから植えなさい。
・いっぱいとれたらお裾分けすればいいじゃない。
・頭のいい人が出し惜しみしない限り、現代人はぐんと賢く慣れるのではないだろうか。
・冴えた解答を誰かに委ねるという意味でも、賢い人はどんどん知識を出力するべき。
・つまり国民総出で開墾、種まきということで(略
・自分が本当に面白いと思えることへの遭遇率は昔より上がっただろうなあ。

・長く書きすぎて自分が何を書きたかったのか失念した為、話が迷走しているw

PageTop

クリスマスだからあの娘の嫌いなパイ作るよ!■2009-12-25

(ジブリ映画「魔女の宅急便」より)
「私このパイ嫌いなのよね」でお馴染みの、孫娘の嫌いなニシンのパイを作るよ!

■材料
イワシ4尾(ニシン代用)、かぼちゃ1/4、シュレッドチーズ
ホワイトソース…玉ネギ1/2、バター大1、小麦粉大1、牛乳1カップ、塩コショウ
パイ生地…バター150g、強力粉60g、薄力粉140g、水90cc

■下準備(※写真撮り忘れ)
(パイ生地)…クックパッドID:119983
(イワシオイル漬け)…イワシを捌いて塩コショウ、オイルソテーにする。

■フィリング
1かぼちゃを一口大に切り加熱。柔らかくなったらつぶす。
pie01pie02

(この材料でホワイトソース作り)
pie03
2鍋にバターを入れ、薄くスライスした玉ネギを炒める。
3玉ネギに火が通ったら小麦粉を入れ、粉っぽさがなくなるまで炒める。
4牛乳を入れて、焦がさないように混ぜながら煮詰めていく。
5塩コショウで味を調え、ヘラで擦ったら底が見えるくらいのかたさに仕上げる。
pie04pie05pie06
6マッシュしたかぼちゃと5のホワイトソースをムラのないように混ぜ合わせる。
pie07pie08

■ようやく本題のパイが登場
1グラタン皿にフィリング、イワシ、チーズを重ねていく。
pie09
 …下から フィリング→イワシ→フィリング→シュレッドチーズ の順
2パイ生地で蓋をする。
3残りのパイ生地でラインや魚を作って飾りつけ、卵黄を塗る。
4予熱を忘れずに、200度のオーブンで20分焼く。
pie10pie11

ニシン・イワシは缶・瓶詰めのアンチョビフィレ、パイ生地は冷凍パイシートでもっとお手軽に。
ホワイトソースも省略できるので、一番簡単な孫娘の嫌いなパイの作り方はこちら。

■孫娘の嫌いなおばあちゃんの手作りパイ(簡易版)
・かぼちゃ1/4
・市販のアンチョビフィレ
・冷凍パイシート
・お好みでチーズ
1一口大に切ったかぼちゃをレンジでチンしてマッシュする。
2マッシュかぼちゃをグラタン皿に敷き詰めて市販のアンチョビフィレを並べる。
3フィレの上にチーズか残りのマッシュかぼちゃを重ねる。
4解凍しておいたパイシートを皿の大きさに切り、蓋をする。
5残りのパイシートで魚などの飾り付けをし、卵黄を塗る。
6予熱しておいた200度のオーブンで20分焼く。

超美味しい!という料理でもないですが、宅飲みするときにはお勧め。
冷凍しておけば当日はオーブンで焼くだけなので、手軽に温かいパイが食べられます。
「魔女の宅急便のパイだよ〜」って感じで出すと、
「あのパイか!」「孫がむかつくやつだ!」って感じでジブリ談義に突入できますよw

PageTop

映画『路上のソリスト』091004

路上のソリスト※公式サイト音がでます!

■あらすじ
「ロサンゼルス・タイムズ」でコラムニストとして働くロペスの日常はコラムのネタ集め。
彼がある日見つけた輝くネタの原石は、公園で弦の足りないヴァイオリンを弾いていた。
騒がしい路上で、汚れた身なりと壊れた楽器から響く、場違いに美しい音色。
その姿に強く興味を引かれ、コラムニストは風変わりな路上生活者ナサニエルと関わってゆく。
やがてロペスは彼の才能や輝かしい経歴、病の発症から路上生活に至るまでの経緯を知る。
悲運の天才についてのコラムの評判は上々で、善意の読者からは新しい楽器まで届く。
その評判とは裏腹に、ナサニエルに振り回されるロペスはその関わり方に疑問を感じ始める。
ナサニエルと彼の患う統合失調症という病とどう付き合っていくのが正しいのか。
話題のコラムニストと実際の自分との乖離が大きくなる中、二人の関係の行く先は…。

■感想
話題の感動作、…と期待して見ると、正直なところ拍子抜けする。
連載コラムが基の原作本を脚色した形での映画化だが、その脚色は商売を目的としていない。
あくまでも現実を切り抜いて提示するだけで、全ての判断は観客に委ねられている。
この作品は「ここで感動しろ」とは押し付けないし、
「自分の人生を省みろ」とも説教してこない。
つまらない映画だと捨て置くことも素晴らしい話だと心に刻むことも全く自由で、
つまりそれは観客がどう思うかなど、そもそもがどうでもいい話なのだろう。
この映画は原作者登場人物含め作り手側の自己満足とさえ言えると思う。
そしてだからこそ真実味にあふれ、何かしらの静かな感情を観客に与えてくれるのだと思う。

劇中に挿入される、ナサニエルの感覚の描写は実験的。
個人的にはWMPの視覚エフェクトみたいだ、と思ったけれど。
あと結構ちかちかして、てんかん起こしそうで一寸目をつぶってしまった。
あのシーンは余計な描写と感じる人と感心する人と両方いると思うけれど、
「じゃあ実際本人にはどう見えているのだろうか」
そう想起させる試みとしてはあってよかったのではないかと思う。

■セールスコメント
自分が一番大事なのは誰でも分かっているけれど、
正面からそうしたエゴを認めることは誰にも難しい。
いい気分になりたいから休日に映画を観に行くのに、
幕が開いてそんな醜態がリアルに描かれていたらまったく興醒めだ。
だから『路上のソリスト』は煮詰まっているときにもくつろぎたいときにも勧められない。
テンションを上げたいときにも楽しみたいときにも勧められない。
この作品は「これすごくいいよ」と人に勧められる類の話ではない。
ふらっとレンタル屋に立ち寄って、うろうろしてから何となく借りて、そっと色々思うこと。
そんなのがよく似合う映画だと思う。

あなたは自分の無力さについて考えたことがあるだろうか。
あるいは自分の考え方の偏向や誤りと正面から対峙したことがあるだろうか。
尊敬できる友人を持っているだろうか。
それまでの自分を変える何かと出会ったことがあるだろうか。
あらゆる未見の現実を目の当たりにしたとき、
取れ得る限り適切な対処を行えると、自信を持って言えるだろうか。
何かのついででTSUTAYAに寄って、あ、見てみようかな、と思ったとき。
借りてみてはいかがだろうか。
あくまでも能動的に。

彼らの人生は今も続いている。
あなたの人生が、今までもこれからも続くように。





■原作本についての比較評はこちら(書評)

PageTop

書籍『路上のソリスト』

路上のソリスト 失われた夢 壊れた心 天才路上音楽家と私との日々
(映画『路上のソリスト』原作本)

■概略
「ロサンゼルス・タイムズ」のコラムから生まれた実話で、後に映画化された。
音楽的才能を持ち、統合失調症を患う、一人の路上生活者についてのコラムが評判になった。
この本は彼とコラムニストの著者との出会いから現在に至るまでの日々の記録である。
また、富める国米国の中で多くの路上生活者を抱えるLAの実態を語る側面も持っている。

■感想
二人の係わりの詳細が詳しく書かれており、そのおかげで映画に比べてよりシリアスな印象。
基本一人称で進むため、著者の苦悩する姿がストレートに伝わる。
映画は随分上手にマイルドに仕上げたなあ、と感じる。
映像化にあたり削ぎ落とされた部分は、恣意的というより仕方なくという感じ。
膨らませた部分は文字では限界のある描写を映像の力を借り実験的に補完してみたという感じ。
文字より扇動性を帯び易い為か映画ではナサニエルを批判的に描写した部分は省かれている。

もしあなたが統合失調症という病の理解の足がかりとしてこの作品に興味を持ったのならば、
映画を見るにしろ見ないにしろ、一度は原作本を読むことを勧めたい。
周囲の人がどのように患者の持つ病に揺さ振られ、傷付くのか。
そして孤独な患者は、どのような弊害を抱えて生きていかなければならないのか。
病気物といえば第一の主体が患者本人という作品が多いが、
病を理解しようと努める人間は患者本人よりもその周囲の人間が多いだろう。
本作では家族より客観的に、隣人より親密に統合失調症と係わっていく過程が描かれている。
読み手によっては患者の自伝よりも示唆的に感じるところが多いかもしれない。
「統合失調症の音楽家」ではなく「音楽家で統合失調症を患っている人」の言い換えは印象的。

主題からは外れるが、私自身日本在住で疎くなっていることもあり、改めて認識した点もあった。
人種に関する問題はやはり根深く、今後も長い間人類はその諸影響から逃れられないのだと。
芸術も社会そのものも、あらゆる人間の活動についてそう言えるだろう。※1
当事者にとっては過去がどんなに時間軸で遠ざかっても、現在の自分に続いているわけだから。
映画では深く触れられていない部分だが、これは個人的には非常に印象深かった。

映画のコラムニストは苦悩こそしているが、慈善家という印象は拭いきれない。
やはりナサニエルの攻撃的な部分がかなりカットされていることが大きいように感じる。
これは病気やナサニエルを一方的に印象付けることのないよう配慮されたことだと思うけれど、
同時にコラムニストの人間としての“揺れ”の表現も疎かになってしまった感は拭えない。
初心はどうであれ出版時には二人は友人となっており、
ナサニエルについての批判的な描写については友人だからこそ記述できた部分だと思う。
もし著者がナサニエルにとって外部の者であり続け、
ナサニエルが著者にとって外部の者であり続けたのならば、
あの描写が世間に向けて発信されることはなかっただろう。
これは「私が彼について書いた本」ではなく、「私が我々について書いた本」なのだ。

読み物としては翻訳本にありがちな簡潔で理性的な文章。
コラムニストとしての職業病か、底部の知性の表面に意識的なフランクさを感じる。
たとえばアメリカの地理的な意味合いだとか歴史的背景だとかの予備知識が、
予め受け手に入力されているかいないかで作品としての深みは随分異なるだろう。※2
著者の職業が思案し伝えることのできるコラムニストだったことは、
貪欲に知ろうとすることのない多くの人々にとっても、
幸運なことだったような気もする。

※1この映画に限らないが科学的な分野よりも文科系な活動について影響を色濃く感じる。
  アイデンティティと文化、人種、宗教、言語あたりは密接な分野だから当然なのだけれど。
※2作品それ自体は同一のものなのにも関わらず、評価に差が出そう。







PageTop